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日曜日, 2月 22, 2015

冬のF6散歩:深大寺へプチツー 6 門前風景 ざる蕎麦。いただきます^^!



門前風景
山門の周辺は歩行者専用の門前町ゾーンとなっており、
名物「深大寺そば」を食べさせる蕎麦屋多数のほか土産物屋
などが並ぶ

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現在は深大寺の門前を中心に20数店舗が開業している

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歴史 

由緒はいくつか存在し、調布市観光協会は江戸時代、土地が米の生産に向かなかったため小作人がそばを作り深大寺にそば粉を献上し、寺側はそれをそばとして打ち来客をもてなしたのが始まりという説を紹介している。
享保の改時には地味の悪い土地でも育つそばを、深大寺周辺で奨励された。
一般庶民とは縁遠い食べ物であったが江戸時代後期には文化人太田蜀山人が巡視中深大寺そばを食し、それを宣伝すると知名度は上がっていき、文人や墨客にも愛されるようになった。「江戸名所図会」にも深大寺そばが記載されるなどし、知名度が上がっていくとともに生産も増えていった。
しかし昭和2年頃までそば屋は一件のみで、そばも自給的に作っていただけだった。世の中が落ち着いてくると観光客も増え次第にそば屋も増えていく。
昭和時代から次第にそば屋は増えていったが、そばの種は質を良くするため福井県栃木県から仕入れていた。1987年よりそのことを危惧した人々が深大寺そばの栽培を開始。
深大寺周辺ははけの上である地理的影響もある事から、米の水田より多い蕎麦が特徴ともなっている。 深大寺の総本山である上野寛永寺の門主第五世弁法親王はこの蕎麦を非常に気に入っており、「献上蕎麦」でもあった。 徳川第三代将軍徳川家光が、鷹狩りの際に深大寺に立ち寄って、そばを食べほめたとされている。

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水と深大寺 

深大寺は湧水の多い国分寺崖線の崖面に抱かれるように立地し、現在でも境内に複数の湧水源をもつ。 湧水を利用した「不動の滝」は「東京の名湧水57選」に選定されている 門前町の側溝には多量の水が流れ、また周囲には神代植物公園の分園・水生植物園やわさび田を擁する都立農業高校神代農場など、谷戸地形と潤沢な水を利用した施設が広がっている。
崖線から湧き出す豊富な水は古くから田畑を潤し、人びとの素朴な信仰を集めてきた。深大寺によれば、水源地であるがゆえに霊場でもあったこの地が仏教の伝来以降あらためて注目され、“水神「深沙大王」”ゆかりの深大寺建立に至ったのではないかという。
深大寺そば」が付近の名物として発達したのももちろん水の恵みと無関係ではない。蕎麦の栽培、そば打ち、釜茹で、晒しに湧水が利用されただけでなく、水車を利用してのそばの製粉も行われてきた。

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 いろんな 美味しそうな食べ物屋さんが、好い臭いで誘う

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今日は、どこの店にしようかと 思案しながらフラフラ
あっちに引っかかり こっちのお母さんと無駄話
この散策が 楽しいひと時だ 

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今回は、水車の回る「一休庵」さんへ 

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愛想のいい奥さんと 不愛想な狸が、お出迎え 

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シンプルに ざる蕎麦

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なんとも この蕎麦と海苔の香り そして 歯ごたえが、、いいねぇ

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終わりに蕎麦で、漬け汁を割って、  あぁ 満足 

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神代植物公園へ上る坂道にも、、
寺の北側に隣接して東京都立神代植物公園が広がり、最寄りの出入口として深大寺門が設けられている。
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東京都立神代植物公園、最寄りの出入口として深大寺門

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食後の気ままな散歩は、続く・・

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登り切っても粋な店構えを見せてくれる

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ほぉ、、、縁台を囲むように

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たき火の香りも なんとも いいねぇ、、

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おや・・奥に高くそびえる塔があるが、、、

続く・・・



木曜日, 2月 19, 2015


サンドする野菜は、ハサミでチョキチョキ 

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なんと今回の食パンは、ビール入り 


家内の愛用手袋

熱いアツイ・と言いながら 

型を叩きつけてからパンを取り出す


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2本・焼きあがりました  


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ちょっと切ってみると

プ~ンとビールの香りが 


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なるほど、、食欲を掻き立てます 

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辛子バターと卵マヨネーズ

白身魚のフライを乗せて


さて・・・チョキチョキ


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葉っぱの辺りを切ってサンド

サクサクといい食感とほのかなビールの香り 


家内イワク・・・

このまま放置しておくと

また伸びてきて2~3回は、食べれると言うが

本当かなぁ・・・

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今後 様子を観察したいと思いましたよ  


火曜日, 2月 17, 2015

冬のF6散歩:深大寺へプチツー 5 本堂・山門


  前回

深大寺  本堂


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江戸時代の本堂が幕末の火災で焼失した後、本尊の阿弥陀如来像は仮に、再建した庫裡に安置されていましたが、大正8年に今の本堂が完成しました
旧本堂は寄棟造りの茅葺き屋根でしたが、再建本堂は入母屋造りの棧瓦葺きに変わりました。正面十間、側面八間(一間は1.8m)という規模は、昔より少し大きくなっているようです。外側を雨戸付きの硝子窓とし、腰を下見板張りとするやり方は昔から変わっていませんが、正面中央の上り口だけは、禅宗様の棧唐戸の引き戸になっています。
旧本堂の正面中央には、入母屋破風の向拝が付いていましたが、今の向拝は唐破風です。梁の木鼻には獅子の彫りもの正面の三段の虹梁の間には龍・鷺、破風板の下には鳳凰の彫り物があって江戸時代らしさが表現されています。
平成15年には大屋根大改修工事をおこない、瓦屋根より銅板葺本瓦棒葺きになり本堂外観を一新し、偉容をほこっています
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五大尊池に架かる本堂」と元三大師堂」を繋ぐ
渡り廊下
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深大寺の境内には,十数基の句碑や歌碑があります。
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『菩提樹や生涯つきぬ寺清水』    石坂泉泣子
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『門前の蕎麦はうましと誰もいふこの環境のみほとけありがたや』 
清水比庵

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本堂の右わきには、梅の盆栽が,置かれていた
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立派な鐘楼が ある。
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文政12年(1829)に建てられた旧鐘楼は、今の大師堂裏の高台にありましたが、幕末の大火で消失し、その後、明治3年(1870)に、山門を入った右手に位置を移して再建されたのが今の鐘楼です。基壇の上に、内転びの四本柱を立て、入母屋茅葺きの屋根を載せていましたが、昭和29年(1954)の銅板葺きに改められました
柱間には若葉の彫り物を施した虹梁を架し、木鼻として獅子を付け、虹梁の上には、蟇股をのせます。柱上には台輪を置いて、その木鼻を禅宗様にし、台輪上に組物をのせます。軒は二軒で、垂木は角。江戸以来の鐘楼の普通の造りです
平成13年に新鋳された平成新鐘と呼ばれる梵鐘を釣り、基壇上には反響用の瓶を埋め、多孔の鉄板を蓋としてかぶせてあります。
春彼岸中日より   5:00・11:30・18:00
秋彼岸中日より   6:00・11:30・17:00  に打たれる


元禄8年(1695年)に建てられたもので、
深大寺で最も古い建造物
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この山門の南側を門前町と呼び 
山門の周辺は歩行者専用の門前町ゾーンとなっており、
名物深大寺そば」を食べさせる蕎麦屋多数のほか 
土産物屋などが  脇参道に立並ぶ 
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深大寺で毎年3月3日~4日に行われる寺最大の祭であり、
東京最大のだるま市の「深大寺のだるま市」として知られており、
三大だるま市」の一つ
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鎌倉時代に日本に伝わった仏教禅宗では達磨大師という僧侶を重
要視し、「祖師」の言葉は達磨を表すこともあるほどである。
禅宗寺院では達磨大師を描いた掛け軸やをいわゆる仏像のよう
役割で用いることが行われるが、この達磨大師には壁に向かって
九年の座禅を行ったことによって手足が腐ってしまったという伝説が
ある。ここから、手足のない形状で置物が作られるようになった。
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さて次回からは、門前風景をご紹介します、、

続く・・・