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木曜日, 2月 19, 2015


サンドする野菜は、ハサミでチョキチョキ 

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なんと今回の食パンは、ビール入り 


家内の愛用手袋

熱いアツイ・と言いながら 

型を叩きつけてからパンを取り出す


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2本・焼きあがりました  


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ちょっと切ってみると

プ~ンとビールの香りが 


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なるほど、、食欲を掻き立てます 

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辛子バターと卵マヨネーズ

白身魚のフライを乗せて


さて・・・チョキチョキ


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葉っぱの辺りを切ってサンド

サクサクといい食感とほのかなビールの香り 


家内イワク・・・

このまま放置しておくと

また伸びてきて2~3回は、食べれると言うが

本当かなぁ・・・

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今後 様子を観察したいと思いましたよ  


火曜日, 2月 17, 2015

冬のF6散歩:深大寺へプチツー 5 本堂・山門


  前回

深大寺  本堂


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江戸時代の本堂が幕末の火災で焼失した後、本尊の阿弥陀如来像は仮に、再建した庫裡に安置されていましたが、大正8年に今の本堂が完成しました
旧本堂は寄棟造りの茅葺き屋根でしたが、再建本堂は入母屋造りの棧瓦葺きに変わりました。正面十間、側面八間(一間は1.8m)という規模は、昔より少し大きくなっているようです。外側を雨戸付きの硝子窓とし、腰を下見板張りとするやり方は昔から変わっていませんが、正面中央の上り口だけは、禅宗様の棧唐戸の引き戸になっています。
旧本堂の正面中央には、入母屋破風の向拝が付いていましたが、今の向拝は唐破風です。梁の木鼻には獅子の彫りもの正面の三段の虹梁の間には龍・鷺、破風板の下には鳳凰の彫り物があって江戸時代らしさが表現されています。
平成15年には大屋根大改修工事をおこない、瓦屋根より銅板葺本瓦棒葺きになり本堂外観を一新し、偉容をほこっています
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五大尊池に架かる本堂」と元三大師堂」を繋ぐ
渡り廊下
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深大寺の境内には,十数基の句碑や歌碑があります。
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『菩提樹や生涯つきぬ寺清水』    石坂泉泣子
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『門前の蕎麦はうましと誰もいふこの環境のみほとけありがたや』 
清水比庵

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本堂の右わきには、梅の盆栽が,置かれていた
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立派な鐘楼が ある。
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文政12年(1829)に建てられた旧鐘楼は、今の大師堂裏の高台にありましたが、幕末の大火で消失し、その後、明治3年(1870)に、山門を入った右手に位置を移して再建されたのが今の鐘楼です。基壇の上に、内転びの四本柱を立て、入母屋茅葺きの屋根を載せていましたが、昭和29年(1954)の銅板葺きに改められました
柱間には若葉の彫り物を施した虹梁を架し、木鼻として獅子を付け、虹梁の上には、蟇股をのせます。柱上には台輪を置いて、その木鼻を禅宗様にし、台輪上に組物をのせます。軒は二軒で、垂木は角。江戸以来の鐘楼の普通の造りです
平成13年に新鋳された平成新鐘と呼ばれる梵鐘を釣り、基壇上には反響用の瓶を埋め、多孔の鉄板を蓋としてかぶせてあります。
春彼岸中日より   5:00・11:30・18:00
秋彼岸中日より   6:00・11:30・17:00  に打たれる


元禄8年(1695年)に建てられたもので、
深大寺で最も古い建造物
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この山門の南側を門前町と呼び 
山門の周辺は歩行者専用の門前町ゾーンとなっており、
名物深大寺そば」を食べさせる蕎麦屋多数のほか 
土産物屋などが  脇参道に立並ぶ 
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深大寺で毎年3月3日~4日に行われる寺最大の祭であり、
東京最大のだるま市の「深大寺のだるま市」として知られており、
三大だるま市」の一つ
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鎌倉時代に日本に伝わった仏教禅宗では達磨大師という僧侶を重
要視し、「祖師」の言葉は達磨を表すこともあるほどである。
禅宗寺院では達磨大師を描いた掛け軸やをいわゆる仏像のよう
役割で用いることが行われるが、この達磨大師には壁に向かって
九年の座禅を行ったことによって手足が腐ってしまったという伝説が
ある。ここから、手足のない形状で置物が作られるようになった。
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さて次回からは、門前風景をご紹介します、、

続く・・・

月曜日, 2月 16, 2015

冬のF6散歩:深大寺へプチツー 4 厄除元三大師




元三大師堂」へ下る「開山堂参詣道

北門の開山堂は、高台に有るため境内を

見下ろしながら下る 

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慈恵大師元三大師)像を安置しているのが、

この大師堂です。


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江戸時代の大師堂は、本堂の西南に東向きに建っていました
が、幕末の火災で類焼したので、本堂西の崖地を削って造成
した敷地に位置を移して再建されました。


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被災直後の慶応3年(1867)に、本堂をさしおいて復興され

たことは、厄除元三大師がいかに多くの信者を集めていたか

を物語っています。



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大きさはもとのお堂と同じくらいで、正面柱間は三間、
側面四面、周囲に縁をめぐらしています。

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内部はもとは奥一間が仏壇で、その中央に、火災を免れた
厨子に慈恵大師像が安置されていました。

  • 銅造釈迦如来倚像
1909年(明治42年)に元三大師堂の壇の下から発見されたもので、現在は釈迦堂に安置。飛鳥時代後期(白鳳期)、7世紀の作
像高(坐高)60.6センチ、全高83.5センチ。
関東地方には数少ないもの   
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本堂よりも 高い所に位置します 


深大寺に著名な歌人や俳人の碑が数多くまとまって

存在しています。

近代俳壇の巨星高浜虚子の胸像が建立されています。

 
清浄な 月を見にけり 峰の寺  虚子

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「句碑 高浜虚子句碑 深大寺 東京都」

  虚子は 調布に住んでいたことがったそうな



厄除元三大師大祭(やくよけがんざんだいしたいさい)

毎年3月3日~4日に行われ、「深大寺だるま市」・
日本三大だるま市」として知られている。
寺最大の行事であり、300店程の店が軒を並べて10万人
前後の人々が訪れる。
江戸中期、300年前から存在すると言われる。
願掛けの際に梵字で」,願いが叶ったらウン」の字を入れる。
お練り行列・「元三大師御影供(がんざんだいしみえく)」がとり
行われる。

次は,本堂へ
続く・・・