前回
東大の本郷キャンパス正門
入って左に行くと、工学部11号館の横にあります
(嘉永7年)に江戸の藩屋敷で生まれた。
諸芸学修行のため
文部省最初の留学生として欧米諸国へ派遣されることとなった。
理学部に入学、翌年には同校を卒業して理学士の学位を受領。
となり、内務技師として現場で勤務するかたわら、翌年には
教官の二足の草鞋をはいた。
近くには、こんな木が、植えられている
(東京大学工学部の前身)初代学長に就任。また、
前身となる)を設立し、東京仏学校の初代校長にも就任した。
土木行政の改善を図り、土木法規を制定するなど、技術上・
行政上に非凡の才能を振るい、近代土木界の最高権威
のみならず、日本近代土木行政の骨格を作るとともに、
工科大学長土木学会長・工学会の会長として、日本近代工学
ならびに土木工学の制度を作った。
彼の代表的な功績として、横浜港の建設がある。
1905年(明治38年)、横浜港に日本最初の大般の繋船壁が完成
したが、その設計を担当したのは古市だった。
東京地下鉄道株式会社の初代社長にも迎えられている。
では1番最初に杭を打っている。
管理長 (明治34年) に就任、その後も含めて約30余年間に
わたって学院の発展に尽力した。
古市は公平無私であり、よく学生を導いたといわれる。
また、日本工学会の初代会長として、世界の中で、日本の工学
恩顧を受けた古市の名をとって命名したといわれている。
留学中、あまりの猛勉強ぶりに体を壊しはしないかと心配した
下宿先の女主人が休むように勧めると、古市は
「自分が一日休むと、日本が一日遅れます」と答えたという
古市の書き残した五年間の多数の講義ノートは、
克明を極め正確な上に緻密で、古市文庫として
東大工学部土木工学科に現存している・・・そうな
なかなか…面白いもんですね
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