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月曜日, 6月 15, 2015

セロー散歩: 東大キャンバスうろちょろ・・・8 三四郎池 ^^!




前回


昨日は、良い天気でバイクだと上下メッシュOK

しかし、どこも混んでいたね


本郷道り沿いには、
観光バスが連なり路上に停車していて

とても入る気は、しないので、いつもの東大へ 


此処までもいっぱいでバイクの停める場所もないほど 

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しかし・・
東大の警備員さんは、親切 

すいません・・
何処にも置く所 ないので、ここ・・いいですか」と尋ねると

面白い回答が、

仕方がないですよね、いいですよ・・

でも、誰かに尋ねられたら

私が良いと云ったと‥云わないでくださいね」と

微妙なご回答 

今回も彼方此方とぶらついたが、前回までの続きを・・・では、



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本郷キャンパスは植物が多く、四季折々の風景が楽しめます。

一番季節を感じることができるのは、この四郎池でしょう。

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三四郎池は、当時の当主前田利常によって園池が築造され

たのは、1638年がさらに補修した。

池の形が「」という字をかたどっており、この池の正式名称

育徳園心字池なのですが、夏目漱石の小説三四郎

以来、三四郎池の名で親しまれています。

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様々な形をした石の段を下りていくと三四郎池

池の畔に立つと周囲の建物は木々の陰に隠れ、この木々は

小さいながらを形成しています。

この森には100種近くの植物が存在し、季節によって様々な

表情を見せてくれます。

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三四郎池は受験生が一人で行くと
浪人してしまうというジンクスもある 

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山手台地を浸食した谷に湧出する泉 

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この池は、江戸時代加賀藩邸の庭園の一部だったが、

明治に入って東京帝大に移管された。

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現在の赤門からにかけての一帯の地は、大坂の役後に

将軍家から賜ったもので、この屋敷は、明治維新後に大部分

新政府の官有地に転ぜられるまで存在していた。

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八景、八境の勝があって、その泉水・築山・小亭等

数奇を極めたものだと言われている 

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江戸諸藩邸の庭園中、第一の名園とうたわれた 

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この屋敷は安政二年(1855)の大地震で大損害を被り、

明治元年(1868)四月の火事で大部分の建物が類焼して、

無残な姿になってしまう。

明治七年に東京医学校(本学医学部の前身)へ移転される

直前の敷地は、「荒漠タル原野」と化していた。

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度重なる災害の中でも、育徳園の池と樹木は残存していた。

現本郷キャンパスの建物の配置は、この旧加賀藩邸の敷地の

配置に大きく影響されている。育徳園の池は現在の三四郎池

あり、その東に広がる馬場は明治三十二年頃拡張されて現在の

運動場となった。育徳園馬場の保存は、おのずからこれらの

北と東を限る道の保存につながり、これらがキャンパスの敷地の

骨組みとなったそうな。 

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夏目漱石の長編小説「三四郎」の一節

 「三四郎は左りの森の中へ這入った。
   其森も同じ夕日を半分脊中に受けてゐる。
     …三四郎は池の傍へ來てしゃがんだ」    

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なぁ~んて・・思いながら そぞろ歩くと楽しい 

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一周しても残念ながら

もの思いに耽る若者の姿は、、無かったが

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周りを森に囲まれた三四郎池は、

現在でも学生の憩いの場となっている筈 

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都内にも随所に名園と呼ばれる庭園は、あるが 

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なんとなく落ち着く雰囲気のある空間だ 



暑い日には、サンドイッチアイスコーヒー

ソフトクリームをもって来たい・・・・・


そう・・東大ソフトクリームといえば此れだ、、、、

は、次回に  

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